† テオ・アダム

円熟した人間味豊かな表情と心を掴むドラマティックで的確な表現

 

 

ドレスデンに生まれる。第二次世界大戦後の1946年、宮廷歌手のテノール、ルドルフ・ディートリッヒに声楽を師事。そして、1949年ドレスデン国立歌劇場の音楽監督カイベルトの推薦を受け、同歌劇場と契約を結び、「ボリス・ゴドノフ」のラヴィツキー役でデビューし、生まれ故郷のドレスデンで華々しいキャリアが始められる。1952年世界大戦後再開の2年目のバイロイト音楽祭に初めて出演し、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」のオルテル役を歌った。以降「ローエングリン」のハインリヒ王、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のザックス、「パルジファル」のアムフィオルタス、「ワルキューレ」のフンディング等の役で次々と舞台に立ったが、とりわけ「ワルキューレ」のウォータン役は高い評価を得、その名が広く知れ渡っていった。

1953年ベルリン国立歌劇場と契約し、翌年にはフランクフルト市立歌劇場と客演契約を結び、その活躍の場が国際的に広がっていった。1967年以降、ウィーン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場など世界の主要歌劇場に定期的に出演するようになり「ジュリアス・シーザー」「ドン・ジョバンニ」「さまよえるオランダ人」「ヴォツェック」のタイトルロールを中心に活躍を続ける。初めて日本へ訪れたのは1967年バイロイト音楽祭の引越公演のメンバーとしてで、「ワルキューレ」のウォータン役で絶賛を博した。以降、オペラ、リサイタルで度々来日し、ドイツオペラ界最高峰の姿を強く印象付ける。

1969年にはザルツブルグ音楽祭に出演、また、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にもデビュー。1974年ベルリン国立歌劇場で行われたデッサウの「アインシュタイン」世界初演ではタイトルロールを歌うとともに演出も担当し、演出家としてのスタートを切ることとなる。1981年のザルツブルグ音楽祭ではブレヒト原作、ツェルハの「バール」の世界初演に参加。また、1984年の同音楽祭ではベリオの「耳をすましている王様」のタイトルロールを歌うなど、初演作品も意欲的に取り組んでいる。1985年2月、40年ぶりに再建になったドレスデン国立歌劇場の管理委員会総裁に就任し、開場記念公演の「バラの騎士」ではオックス男爵を歌った。オペラとともにリート、宗教音楽のジャンルにおいても、第一線で活躍を続けている。

ドイツ連邦共和国、オーストリア、バイエルン州の宮廷歌手。

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